2016年12月29日木曜日

自分にとってのAセクシャル

ブログを始めて数ヶ月たつなかで、自分にとってAセクシャルがどんなものになってきたかを書いてみようと思う。

大まかに言ってふたつある。


まずひとつは、Aセクシャルという言葉そのものと私の距離について。
一言で言えば「常に考えているわけではないが、気になる時期がある」。

ふしぎなことに(?)、この言葉と自分との距離には波があって、数週間〜数ヶ月のスパンで思い出したように調べだす節がある。

少なくとも今は、Aセクシャルであることに不都合を感じてはいないけど、どこかで引っかかるものがあったり、納得しきれていないのだろう。
ふいに思い出して調べだす時期がある。


ふたつめは、全然気にならない時期に思っていること。
それは、「だからなんなのだ」である。

今真剣に考えている人にはすごく失礼な感想かもしれない。
でも数年前に比べると格段に、自分の中でとてもあたりまえになってきている。

色々調べていくうちに、Aセクシャルという性質を発見したときの(過度な)期待感から落ち着いてきて、それが単に自分の性質の一部にすぎないということが分かってきたんだと思う。

まあでも、自分のどこまでがAセクシャルに由来する性質で、どこまでが他からの由来なのかとか、すべての整理がついたわけでもなく、Aセクシャル自体が何かに由来している可能性も残したままにしている。
とにかく今は「性的に惹かれない」ということを中心に理解している。


時期でなくても、たとえば性自認を意識する場面とかで、Aセクシャルとの関連とかを考えてしまうことはあるけど、
そうではなく、言葉と距離があるときは大体「だからなんだというのだ」という感じで過ごしている。そんな感じです。






2016年12月9日金曜日

「Aセクシャル判定機」は製造可能か?

我々がAセクシャルであるかどうかはただひとつ、他人に性的に惹かれるか否かにかかっている。

それじゃ、この「性的に惹かれない」という状況は、外部の数値として判定できるようになる日が来たりするんだろうか?

素人考えだけど性的欲求の強さ自体はたぶんいい線まで分かるんじゃないかと思う。
しかし肝心なのはそこではない。

性的欲求があろうがなかろうが、ポイントはそれが「他人に」向かないということである。

脳みその物質を調べるにしても、そんな細かい表現まで数値として出てくることがあり得るのだろうか?
電気が右へ走ってたら同性愛、左の場合は異性愛、みたいなことがあるんだろうか?

仮にあるとして、数値と行動が矛盾する人間がもし現れたら、その人は偽者とかただのセリバシーとか言われたりするんだろうか。

Aセクシャルはチョイスではないというが、それがいつか証明されるとしたら、いったい誰が示してくれるのだろう…。


Aセクシャルだけでなく、セクシャリティ判定機があったらどうなるんだろう……

そんな文明社会の妄想でした。

2016年11月27日日曜日

Aセクシャル、Aロマンティック、Aジェンダーの「A」

少しお久しぶりになりました。

Aが三拍子そろったこの3つの言葉ですが、3つに共通して思うことがあるので書いてみます。


まずこの「A」という文字は接頭語。
単語の頭について「非〜」「無〜」という意味をつくる。

というわけで、
3つのAはこんなふうに書けると思う。

Aロマンティックは「どういう恋愛がしたい、がない」
Aジェンダーは「自分とはどういう性別、がない」
Aセクシャルは「どういう人と性的に関わりたい、がない」

共通項がすこし見えてきた。
一般的には「好みがある」のが普通とされる項目で、「好みがない」ということだ。

「好みがない」というか、「そもそも感覚がない」というか、対象としてすっぽり抜け落ちたような状態というか。
選ぶ以前に、まず選ぼうとしないのだ。

好みがないからといって「なんでもあり」に振れる場合もあるが、多くは「どれでもないし、どれも変」という感じだと思う。
なぜ好みがないのか?
そりゃ、グッとこないからだろう(雑)


ところで生物の用語に「無性生殖」というのがあるけど、カタカナで書くと「Aセクシャル・リプロダクション」である。
ひとつの個体から単独で新しい個体をつくる(アメーバが分裂したりする)増え方のことだ。
アメーバにはそもそも性別がないので性差が存在しない。ので、性差の好みも持ちようがない。

一方で染色体レベルで性別が4つある鳥もいるらしい(Gigazineのページ)。

話がそれてきた。

染色体というレベルは明確でわかりやすいけど、私たちはもう少し複雑な、「好み」という次元をもっている。
それは「どっちでもいい」というレベルのものばかりでなく、「それでなくては実存にかかわる」ような重要なことまで含む。

しかも「好み」は生涯を通して変化し、一定ではないときている!
なんてめんどくさい!笑
出荷前に工場で「あなたはヘテロ」とかラベルが貼られて、みたいな話ではなくて、仮にラベリングされるとしても、その文字は別の文字に変わったりするのだ。

あるいは文字の濃淡の変化。
生まれたときはみんな真っ白だとしても、
ある人の文字は薄すぎたり、ずっと白紙だったり、インクをはじいたりして、ヘタしたら一生読むことができないかもしれない。
それがAセクシャル、Aロマンティック、Aジェンダーなのだと思う。


そんなラベルの中にいる人たちは、周りがみんな「好み」を持っていることにびっくりして不安になるかもしれない。
そうなると、自分の中のそれほど強くはないゆるやかな「好み」をすくい取ってみたりして、でも果たしてそれは自分の「性質」なのかと悩んだりする。
でも無理やり決めてみたところで、興味のレベルがすぐ変わるわけでもなく、「やっぱりいいや」とか「まあこれはこれで」みたいな落ち着き方をするだろう。


火のないところに煙が立たないように、たいして興味がもてないところに強い好みを立たせるのは難しい。そんなところです。

自分を楽しく生きてくださいね。

ハッピーライフ!
ハッピーホーム!
(タマホーム)

2016年10月9日日曜日

Aセクシャル・ウィーク(AAW)!

2016年10月23〜29日(日〜土)は、Aセクシャル・アウェアネス・ウィークだそうです。

キャンペーンの主体はこちら
Asexual Awareness Week
http://www.asexualawarenessweek.com/

アウェアネスとは意識、認知のこと。
国際的なキャンペーンで、誰でも参加できるものです。やってみよう✊🏻

内容はこちらのツイートの画像にまとまってます。(2014年のツイートだけど)

<訳:Aセクシャル・ウィークであなたができること>
・Aセクシャルについて話す
・誰かにカムアウトする
・教育講演会を開く
・AAWのポスターを貼る
・Aセクシャルの資料を印刷して配る
・Aセクシャルのブログ記事を書く
AVENのサイトを読む
・地域のLGBTコミュニティに話を持ちかける

話したりSNSやブログに書いたりするのが一番簡単そう。
Twitterならハッシュタグつけたりするのかな?

会話はなかなかタイミングが難しそうですね。チャレンジャーの方はチャンスを見てぶっこみましょう!笑
いま旬(?)の「絶食系」を皮切りに話してみるとか。「絶食系」でも他人に性的に惹かれる人はAセクシャルではないですが。

上記の運営団体サイトもたくさんAセクシャル関連のYouTubeが見れたりして面白いです。
私も英語分からなくても雰囲気で見てます。


また、上には書いてませんが
個人的に「Ace Ring (エース・リング)」に少し興味があって。

エース・リングというのは「私はAセクシャルです」ということを示す指輪で、通常は右手中指に、黒色の指輪をするそうです。
AVENでできたAセクシャルシンボルとのこと。
まだ全然認知度は低いですが、指輪してみたい人はこの機会にあえて選んでみてはどうでしょうか。

「Ace ring」の画像検索結果



私もカムアウトまではしませんが、
さりげな〜く
何かやってみようと思います。🙏🏻

2016年10月6日木曜日

リスペクト、ときどきセクシュアリティ

いわゆる「リスペクト」について。
(今回はセクシュアリティ以前の話が中心なので、肩透かしに注意。)

セクシュアリティ如何の話の前に、
人と人の関係であるべきことのひとつに「リスペクト」というのがある。

リスペクトとは敬意を払うこと。
もっとゆるやかに解釈すると、人を「個として扱う」ことだと思う。

じゃあなぜ他人をリスペクト「すべき」で、「したほうがよい」のか?
もちろんどう行為しようと本人の自由だから、道徳的な領域の話になる。
そして道徳を説明するのは難しい。

たとえば個人的には、
「他者/他人」もまた自己を構成する一部だから、他人を人と思わない態度であればあるほど他人と自己の境界はあいまいになるし(自分だけ人であるのは難しい)、反対に他人を「個」として扱えば扱うほど、自己の「個」も確立されていくからだと考えたりしている。

また、人を「個」として扱うということは、そのぶん他人の未知の領域を「未知のまま認める」ことなのかなと思っている。未知は自分にとって不安も大きいし、支配者にはなれないということだけど、それは同時に余裕につながって、人として安定するために必要なことでもあるのだと思う(長い)。

……そんなこちゃこちゃは置いといて
単純に、リスペクトが保たれた関係とそうでない関係を比べてみればいい。態度が関係にもたらす影響はとても大きいのだ。


私たちは、セクシュアリティにしろ国籍や障害にしろ、人の一側面だけでその人を簡単に「観察対象」にしてしまうことがある。私も経験がある。

そんなとき、知らず知らずのうちに「リスペクト」は失われ、相手にもそれが伝わっていく。そうなると、その人との間にいい関係は築けなくなってしまう。

ときには「リスペクトの仕方」を間違えることもある。リスペクトの様式も文化だから、それが大きく違う相手に対しては、リスペクトしてるつもりなのにやり方が違うせいで伝わらないということになってしまう。
そんなときは文化の違いを新しく学ばなくてはいけない。

……話の裾が大きくなってしまったので「Aセクシャル」で考えてみよう。

前提として、Aセクシャルであってもそうでなくても、当然人には「個」がある。
Aの人は性愛者のことを奇妙に感じるかもしれない。でもだからと言って、性愛者だからというのをその人全体にまでレッテル貼りしてしまえば、その人はもはや「個」ではなくなる。

しかもそういうのは、あからさまにからかったり見下したりしていなくても、少なくとも相手には伝わっている。相手が自分を見るとき、常に「あなたはこうだから」という基準を敷いているのが、なんとなく分かってくるからだ。

たしかに「違い」がピックアップされるべき場面というのも多々ある。
ただ、そうでない場面と混同してしまうのはよくないということ。

……めちゃくちゃ当たり前のこと言ってる気がする。


怖いのは、こういう当たり前みたいなこともどんどん抜けていってしまうこと(自分だけかな)。理由づけが古くなっているのもあると思うから、たまに引っ張り出して確認をしてやるべきなのだろう。

にしても長すぎた😂 読んでくれた人がいたらありがとう……

2016年9月30日金曜日

補足:Autochorissexual について

今回はこの記事の補足です。

雑な表現に終わっていたことと、TumblrのAutochorissexualityのブログ(http://autochorissexuality.tumblr.com/)等を見ていてどこが重要な点か何となくわかったので、一度触れたからにはなるべく正しくなるように、補足いたします。


改めてオートコリスの定義から:
"A disconnection between their identity and a sexual target/object."
本人と性的な対象との間に断絶があること。

ここは前回書いたとおりですが、現実的にどういうことなのかがかなり曖昧でした。
ポイントは、対象が何であれ(空想でも他のメディアのポルノでも)、とにかく「主観的でないこと」みたいです。

前回「パラレルワールド」という紛らわしい表現を使ってしまいましたが、正確には、その「パラレルワールド上でも決して本人は主観的に性的な体験をしない」ということ。

なかなか説明が難しいのですが、非現実的な対象について「主観的でない形で性的に感じる」という感じでしょうか。
……やっぱり難しいけど、「主観的」というのは「自分の体・自分の気持ちで体験する」ことなので、自分と直接関わらない形でーー単に見ていたり、他者の視点を通すことでーー性的興奮を経験(もしくは性衝動を解消)するということだと思われます。


また、以下の内容も補足。
・この形態はAセクシャルの文脈で書かれているが、Aセクシャルの一形態とされる一方、他のセクシャリティとも共存しうる見方ができること。
・あくまで「性的な」対象についてであり、パラフィリア(性的倒錯、性的嗜好)のひとつであること。
・auto- は「自己の」、chorisはギリシャ由来で「絶たれた」の意味をもち、「Aegosexual」という別名もあるとのこと



前回よりは近付いていることを祈ります……

冒頭のTumblrは、たくさんの質問に答えていて分かりやすかったです。疑問はいくつか残るものの、なんとなく他の人の認識が分かりました。

2016年9月29日木曜日

みんなはどこにいて、何が好き?

Aセクシャルでない人の中には、「Aセクシャルは本当に実在するのか?」という疑問をもつ人がいるのだという。

というか、当のAセクシャルでさえ「自分以外に本当にいるのか?」と思っているかもしれない。無理もないと思う。


ところで少し前に、「Aセクシャルとしてこういう場がほしい」という類の空想をしたことがあった。
今日はそれを、もう一度考えてみようと思う。

そのとき考えていたのは単純に「趣味でつながれるSNS」みたいなもので、それ自体は他のSNSと同じなんだけど、
「趣味の共有、高め合い」と「Aセクシャルな関係」を根底におくというもの。

「Aセクシャルな関係」というのはもちろん性愛がない関係のことで、厳密にはそれぞれのプロフィールが示す細かいラインによる。(トラブルが起きそう。)

そして、Aセクシャルの人だけじゃなくて誰でも参加できる場所がいいと思っていた。
大変そうだけど。

たしかに今でも「出会い目的は禁止です!」というコミュニティはたくさんある。
でも「最初からその目的でなければ、後は自由よね」みたいな感じも否めなくて、仲良くなりにくそうな感じがしていた。
あんまりいないと思うけど「じゃあ仲良くするな!」みたいなのは困るからだ。
だから、最初から前提として宣言できる場所が欲しいという発想をしたんだと思う。


それからもうひとつのポイントは、性愛という「ないもの」からよりも、趣味や好きなものという「自分の世界」から人と関係していけること。
たぶんみんなそこで生きているはずで、それを知りたいし、関係が始まるとするなら自然な始まり方のひとつだと思うからだ。


と、少し夢見がちな空想を書いてみた。
Aの人だけじゃなく性愛をする人にとっても、性差を気にしないAセクシャルな関係をもてる場は悪くないんじゃないか……ともこっそり思っている。
恋は理屈じゃないというからだめなのかな?


……ふと思ったけど
Aセクシャルの人数が少なすぎて全員違う趣味だったらどうしよう……。笑

2016年9月25日日曜日

男女の友情(真顔)

前回の記事で「プライドってなんだ?」という終わり方をしたと思いますが、それはともかく、この話題を忘れていました。

「男女の友情はあるかないか」論。
より正確には「異性愛者同士の友情はあるかないか」でしょうか。
もっと広げれば、「性愛を挟んだ友情はあるかないか」かな。

よく聞くパターンは
一方が他方へ恋愛感情(とりわけ性愛)を抱くようになり、進展を望んで行動し、うまくいけば無事結ばれるがもはや友情ではなく、悪ければ関係が壊れ、やはり友情は終わる。
というもの。

わかったぞ!

互いに特別な感情を抱かなければ、友情は成立する!

……というのはあたりまえの冗談だけど

感情を抱いても、無視できる程度なら可能だ。(「無視できる程度」もAセクシャル関係の文で覚えた言い回し)

なんでも、「誰であっても性的対象に見られることは光栄な事」と考える人と、そうは思わない人がいて、関係を壊したくなかったらその辺に慎重さがいるらしい。


片方がAセクシャルであればどうだろう。

片思いする側がロマンティックAセクシャルの場合、望みが相手にうまく伝わったとしても、気味悪がられて次の日から連絡がつかなくなるかもしれない。
あるいは「性愛じゃないんだ」と割り切って、友達のままでいてくれるかもしれない。

想われる側がAセクシャルの場合ーーこれは性愛者の「結ばれることはない」パターンとほぼ同じだ。
「無理強いをしない」ことを前提に、嫌に思わないで友達でいるか、距離を置くか、0にするかだ。



じゃあ、両方がAセクシャルだったら?


ロマンティックAセクシャルの場合、もしかすると、思ったより事は深刻かもしれない。
これを見てほしい。

「実は君に恋愛感情があるんだ」「ごめん」
……
つらい。断る方もつらい。
性愛者の言っていたつらさはこれだったのだろうか。
何より、Aセクシャルならではの「性愛を理由に断る」が使えないのだ。
告白イベントがあるのは日本式だとは聞くが、事の重大さに今気づいた。

いや、つらいとかそういう話ではなかった。
友情……その後も友情はやはり場合によっては、続ける事ができるだろう(性愛がない分シンプルかもしれないし、その逆かもしれない)。


最後に、Aロマンティック同士の話をして解決しよう。

どんな性別どうしでも、友情は続けられる!!


男女の友情はあります。これもある種のプライド(誇り)かもしれません。
ひとつ見つかってよかった。


こちらからは以上です。

2016年9月24日土曜日

Lithromantic を考えよう

Autochorissexualについてこの間触れたので、今回はLithromantic/Lithsexual について考えてみたい。

Lithromantic は「恋愛指向はあるが、相手の気持ちが自身へ返ってくることを望まない」という状態、指向のこと(wikia)。

「理論上では」恋愛関係になることを楽しむ、とも書いてある。
Lithsexual はこれの性的指向バージョンになる。
いずれも関係までたどり着いてしまうと思いが消えてしまう。

これも、何割かわかる部分があるような気がしている。
まったく分からない人からすれば、下手したら「時間の無駄」と怒りだすような態度かもしれない。
もちろん節度があれば、個人の指向として全然問題ないはずだ。


リズロマンティックと関係あるかは分からないけど
「こちらが親しげにすると相手も親しげになってきて、それがなぜかがっかりする」という経験をしたことがある。
その時は、自分の感覚がねじ曲がってるんだろうと思っていた(今も若干思っている)。

それか、相手のそんな姿を見たことがなかったので怖くなって、「普通に戻ってほしい……」と思ったのかもしれない。
でも相手は踏み込んだ関係になろうとは望んでなかったかもしれないし、ほぼこちらの誤解だったかもしれない。
暗黙の了解はたしかに便利だしうまくいけばロマンチックだけど、すこしずれると本当にやりにくい。

……話を戻して、
仮にこういう感覚がリズロマンティックであってもなくても、
結局のところそれがもしその人の「その人らしさ」になるなら、それでよいはずである。

平凡なことを言うようになってしまった。
でも実際、自分のセクシュアリティを「誇りに思う」「プライドを持つ」という感覚って、普段あんまりないんじゃないかと思っている。というか「それってどういうこと?」とさえ思っている。

次書くとき覚えていたら、この辺の話を書きます。

2016年9月23日金曜日

いろんな魅力、いろんな感情

AVENwikiの「魅力(Attraction)」のページ

ここを見ると、言われるまで気づかなかったような「魅力」が分類され、感心するくらい細かく説明されている。
(前の記事で言ったように「魅力」は自分側の「惹かれる力」と考えます)

「魅力」の大別はこうだ:

⚫︎性的に惹かれる
⚫︎恋愛関係を持ちたいと惹かれる
⚫︎身体接触を持ちたいと惹かれる
⚫︎美的感覚として惹かれる

3番目の身体の接触と書いた魅力は Sensual attraction で、「触れ合う」「ハグする」といった感覚刺激を相手に望むこと(性的な接触とは別)。

美的感覚への魅力はAesthetic attraction で、シンプルに「容姿」に惹かれることだという。

2番目の恋愛的な魅力というのはいちばんぼんやりしている。人によって何を中心に惹かれるかは違うようだ。3番目の美的魅力はこれの一種ともされるそう。
何を持って「恋愛関係」となるかはやっぱり人によるし、どこまでが恋愛関係でどこからが性的な関係なのか明確なラインは引けないとも書かれている。

少なくとも、いずれも「長期的な関係、感情的なつながりを持ちたい」という感情であるということだ。
ここがパスできないと遊園地のロマンティックアトラクションには乗れない。
ただ少しいいなと思うだけでは、身長制限で切られてしまう。


ちなみに「べた惚れ、ひとめぼれ(Crushes)」には"Aロマンティックバージョン"があって、「Squishes」と言うそうだ。
友達になりたい!という、性的でも恋愛的でもない強い感情のこと。
これは比較的分かりやすいかな?



……どうだろう、少しは整理できただろうか。


……

……混乱してきたかも。

2016年9月22日木曜日

バラバラ感は否めない

当たり前のことだけど、みんなAセクシャルまわりの定義がそれぞれバラバラだ。

近い感覚をもてる人同士ではあっても、みんなちょっとずつ入り口が違っていて、面白くもあるしややこしくもある。

たとえば自分の場合は、早いうちにAVENの基準を読んだことと、「恋愛指向の有無」の判断がなくても気にせず使えるという点で、「他人に性的魅力を感じない、性的に惹かれない」を使う。

……そうだった。恋愛指向という言葉もかなり厄介だった。

「恋愛」自体については各自がおのおの解釈をしているものだと思う。
でもそれが一個人の中でどれだけ特定されようと、みんなに通じなかったり、お互いの解釈違いでがっかりしてしまうようならば、同じ言葉で表明しても意味がない。
私の解釈はたぶん普通ではないな……ということで、ロマンティック欄はまだ空欄にしてある。

もしそこが明確だったら、迷わず「ノンセクシャル」を使っていたと思う。

幸い今「Aセクシャルゆえの悩み」は特に感じていないので、どう過ごしてどこに辿り着いていくかをがんばっているけど、その一方で何かAセクシャル関連でポジティブなことができたらなあ……とは思っている。
だからたぶんこんな感じで文章を書いているんだと思う。
いつまで続くかわからないけど
何か面白い情報があったら書きます。

2016年9月21日水曜日

自分の中の、自分と関係のない性?

昨日の「性嫌悪の人は注意」以降の内容をもう少し引用して考えてみたいと思う。


引用元のボガート氏の論文もPDFで見ることができる。(こちら
ここで彼は、「Aセクシャルであるとともに、本人の性指向とつながりをもたない性的な対象をもつ」現象を、Autochorissexualismと名付けている。

「つながりをもたない」というのは、自分自身として実際に惹かれるわけではないけれど、パラレルワールドのような場所では明確に「指向の対象化」がされているという感じか。

また、例示のためにAVENへの書き込みが紹介されている。簡単に書くと、

「空想するのは常に創作上のキャラクターであり、知っている人や自分自身が出てくることはない」
「自分ではない第三者になっていて、参加するのではなく心の中でそれを見ている」
「それを見て興奮が起きるのではなく、興奮があるから起こるもので、自分が代役するのではなく、創作上のキャラクターの視点を自認する」

というものだった。

たしかに実生活上の性指向と欲求時(と言えばいいのか?)の対象が違っていたって、そういうものだと認めてしまえば、Aセクシャルライフを送る分にはなんの支障もない。
この研究は「こういう空想があるってことは、Aセクシャルじゃないのかも……」という人たちの不安感を拭ってくれるものであると思う。


……ここまで自分のことは書かないできたが、非常によく分かる部分があるということを言いたい。だからすごくありがたかった。

ありがとうボガートさん、学者のみなさん。



読解が間違ってなければいいけど。



追記:
改めて補足記事を書きました。こちら

2016年9月20日火曜日

Aの人の性別観は独特?

あくまでSNSの印象だけど、Aの人の自己紹介を見ているとなんだかノンバイナリーな人が多いと感じる。

なぜだろう?
いや気のせいかもしれない。

自認の種類は、男女以外にも無限に広がっている……という話は、セクシュアリティ界隈を少し覗いたことのある人ならだいたい知っている。
それが常識なだけに、自分の内側や、世間との違いを、繊細に表現するのかもしれない。

Aセクシャルに限って言えば、一部の性別が決定的な要素になる行為を求めないこともあって、性別というものがより観念的というか、性別の判断に占める行動規範の比重が大きいのかもしれない。何言ってんだろう。

……適当だけど、
他者の性別をゆるめに見ているのなら、自分のことも同じ感覚で見るだろうし、ひょっとすると他人以上に曖昧に過ごしているかもしれない。


※以下、性嫌悪の人は注意※

急な話になるけど、
Aセクシャルに関する調査のなかで、「自慰や性的な空想」についてアンケートしたものがあって、それには「他者が出てこない」とか「自分が出てこない」という傾向がみられたらしい。

こちらの記事(2014年)によると、

対象となったAセクシャル534人のうち、19%が性的な空想なしで、50%が月1回以上の性的な空想ありでの自慰行為をしているという。(また20%は、自慰も性的な空想もしない。)

人によると驚いているかもしれない。
また、続けてこういうことが書いてある。

(自慰が「身体的な緊張の解消」という話や、それが他者に向かない話などに続いて)
2012年のボガート氏の研究で、「自身の感覚と、空想内の性的な対象とが切り離されているタイプ」という分類がなされたのだという。
これは、他者へ性的に惹かれることがない(自身の感覚)一方で、にもかかわらず自慰を促すはっきりした対象を持っていること、と説明されている。

かなり興味深かったので、この部分では普段引かないような単語も調べてしまった。


だいぶ脱線したが、このタイプにみられるように、自分を性に関係させていないのかもしれない。
……いや、実際はAセクシャルは自認の一つにすぎない、というダブルマイノリティの方が積極的にSNSに参加しているだけかもしれない。うん、たぶんそんなところだ。

2016年9月19日月曜日

Aセクシャルジョーク

某掲示板で、Aセクシャルのジョーク(皮肉がきいて笑える感じのやつです)がいろいろ書き込まれているのを見た。
自分でもつくってみたい!

……と思ってちょっとだけ考えた。
クオリティ😂

登場人物
A:Aセクシャル
B:AセクシャルじゃないAの友達


その1

A「あのさ。きのうスイーツ食べてきたんだ」
B「へえ、女子力高いね」
A「なんで? いま助詞使ってないよ」
B「助詞力じゃねーよ」


その2

B「このアイドル、やばいよな」
A「たしかに興奮する」
B「水着やばいよな!」
A「え、新曲のコード進行のことじゃないの?」


その3

A「クッキー作りは楽しいなあ」
B「恋人は作らないの?」
A「白い恋人のこと?」

※白い恋人は北海道の銘菓


その4

食事中
B「彼氏ほしいなー」
A(そっと手渡す)
B「カラシじゃねーよ」


その5

B「彼女がほしい」
A「親におねだりしてみたら?」
B「何それ。やだよ」
A「じゃあ、おばあちゃんは?」
B「そういう問題じゃない」


その6

CはAのAセクシャル仲間。

A「文化祭を見て回ろうって女子を誘ったら、なぜか謝られて、走り去られた」
C「Aはなんで誘ったわけ?」
A「俺ウーパールーパー飼ってるじゃん? 水槽友達がいなくてさ。その子は生物部の部長で、水棲生物に詳しいって聞いたから」
C「おまえ、それは間違ってるよ」
A「でも、異性を誘えないのは問題だと思う」
C「ウーパールーパーなら3組の後藤だろ! 20匹も飼ってんだから!」




……

独特の感じになってしまったけど
こんなところで。
(ダジャレ多くてごめん)








2016年9月18日日曜日

「性的魅力」って言われてもわからない

Aセクシャル定義の常套句(?)
「他人に性的魅力を感じないこと」
というのは、たぶんAVENからの和訳なのだと思う。

でも「性的魅力」って言葉が新しすぎてちょっと難しい。
わかる気もするしわからない気もする。
かといって他の言葉で置き換えるには少し頭を使う。

元の英語は Sexual attraction だけど、
アトラクションの意味を引くと「こちらへ引き寄せる」という雰囲気がある。
「他人を性的に引き寄せること」……これじゃ磁石人間だ。

でも磁石の発想は案外有効で
性的という形容詞はいったん置いといて、もともと「人は磁石のように人と引き合う」ものだとすれば、その引く力が欠落している場合、「相手はこちらを引きつけるが、こちらからは相手を引き寄せない」という状態がイメージできる。
それを「性的な側面から」に限定すればAセクシャルだ。
で「恋愛指向から」にすればAロマンティックだ。

「引き寄せる」に近い語は、「惹かれる」「欲する」「望む」「求める」「希求する」というところだと思う。
「惹かれる」は個人的に自分の内側で完結するイメージが強かったのだが、上記のイメージが頭にあればそれほど違和感がない。
(もっと具体的に訴えたければ「接触を望む」とかがいいのかもしれない)

……これをなんとか表現し直すと、

「他人へ性的に惹かれることがない」
「他人を性的に求めることがない」

という感じだろうか。うーん、普通っぽく着地してよかった。


もともと「魅力」という語には「魅く」という字はあるものの、「相手側が」自分を惹く力という感じも少しある。そう受け取ると、自分のよく知らない「性的魅力」とやらがAセクシャルの判断に関わるのか……となってきて、それでややこしかったのかもしれない。



それと、もし人に伝えるなら
「性的な側面以外から惹かれることがあるかどうかは、Aセクシャルの主旨とは関係がない」という部分がひとつポイントだと思う。

あとこれ前回の参考記事にもあったんだけど
Sexual attraction とsex drive (libido) もまた別次元の話というのもそう。
「性的魅力」と「性的欲求」の違い……漢字だとなんて面倒くさいんだ。
もうちょっとわかりやすい名前だといいのかもね。
引力とマグマ。マグマがあっても引力があるかどうかは別……笑

2016年9月17日土曜日

そもそも隠れたい

このまえ読んでいた記事にこんな言及がありました。

(Aセクシャルの話題で)
「性に関する話をしたくないからLGBTsコミュニティには参加しない」という話。

……わかる!と思いました。
もちろん苦手じゃない人もいるはずだけど、そこまで行ってその話はしたくない気持ちはよくわかる。
どちからというと、それがない場所を求めているという。

同じAセクシャルの人には会ってみたい。
でもいざとなると、Aセクシャルだということ以外とくに話すことがない。

自分が向いてないだけだが、二律背反だ、、


そこそこ普遍的な話がしたい場合、「Aセクシャル同士」というだけでは、ほとんど共通の話題がない気もする。
他のセクシャリティでは「好きなタイプ」とかがあるのかもしれないけど、その話が面白いかは個人差が予測不可能なので難しい。
無難なのは「あるある」を言い合うくらいか。
でもあるあるには無理解への愚痴も多いと思うので、愚痴が苦手な人は楽しめないかもしれない。(想像だけど)

映画とか漫画が好きな人同士だったら、Aセクシャル疑惑のキャラクターとかを話せるかもしれない。

何れにせよ、「ない」っていう共通項で集まるのってかなり不思議な感覚じゃないでしょうか。
もちろん認知に努めたいっていうような、目的意識があれば別だけど。なかなかむずかしい。

でも情報は欲しい。


……さがそう。



参考:GAY STAR NEWS 内のこの記事、Myth 10

最初の短いあいさつ

はじめまして

思い立ってブログを始めてみましたが不安でいっぱいです。

私はAセクシャルなのですが、みんなAセクシャルの話どこでしてるんだろう…と思っていろいろ探したり読んだりしています。この種の話題はあまり距離が近すぎると直接話しにくくなるというのもわかってきたので、ブログという選択にしました。

よろしくお願いします(便利な言葉)