昨日の「性嫌悪の人は注意」以降の内容をもう少し引用して考えてみたいと思う。
引用元のボガート氏の論文もPDFで見ることができる。(こちら)
ここで彼は、「Aセクシャルであるとともに、本人の性指向とつながりをもたない性的な対象をもつ」現象を、Autochorissexualismと名付けている。
「つながりをもたない」というのは、自分自身として実際に惹かれるわけではないけれど、パラレルワールドのような場所では明確に「指向の対象化」がされているという感じか。
また、例示のためにAVENへの書き込みが紹介されている。簡単に書くと、
「空想するのは常に創作上のキャラクターであり、知っている人や自分自身が出てくることはない」
「自分ではない第三者になっていて、参加するのではなく心の中でそれを見ている」
「それを見て興奮が起きるのではなく、興奮があるから起こるもので、自分が代役するのではなく、創作上のキャラクターの視点を自認する」
というものだった。
たしかに実生活上の性指向と欲求時(と言えばいいのか?)の対象が違っていたって、そういうものだと認めてしまえば、Aセクシャルライフを送る分にはなんの支障もない。
この研究は「こういう空想があるってことは、Aセクシャルじゃないのかも……」という人たちの不安感を拭ってくれるものであると思う。
……ここまで自分のことは書かないできたが、非常によく分かる部分があるということを言いたい。だからすごくありがたかった。
ありがとうボガートさん、学者のみなさん。
読解が間違ってなければいいけど。
追記:
改めて補足記事を書きました。こちら。
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